私と日本が有終の美を飾るために

未曾有の災害が日本に起こった。

受け入れがたい現実である。

心は16年前の阪神大震災を思い起こさせる。

あのとき、大好きな神戸が、私の住み慣れた町が崩れ落ちた。

同時に、経済大国日本が信頼していた多くのものが崩壊した。

約1年間、避難所となった教会での救援復興支援活動に携わった。

そこで当時のメディアでは取り上げられなかった人間の美しさと可能性を肌で感じる事ができた。

同時に、人間の醜さと罪深さに絶望感を抱いた。隣人を愛する事を看板にしていた私自身もキリスト教会も

例外ではなかった。

そこから沢山の教訓を学んだ。

しかし、どれだけの教訓が2011年の今に生かされていたのだろうか?

私自身の事として、この国として。

震災の翌日、3月12日と13日は、プロコーチとしての9ヶ月間に渡る研修の修了式であった。

その最後のセッションワークで、「自分への弔辞」を書き上げる事となった。

これから自分がどんな人生を送りたいのかを人生の最後を想定して考えるワークであった。

震災の翌日だったので複雑であった。

私は、40代から50代になった長男が私に送る弔辞という設定で作成した。

そのプロセスで震災にも思いをよせながら、「有終の美を飾る」という事を意識させられた。

その冒頭のフレーズにこう記した。

「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。

ただ、この一事に励んでいます。

すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスに

おいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」新約聖書ピリピ3:13-14

お父さん

あなたは、ことある事にこの聖書の言葉を引用して、自分の人生の目標であると言っていましたね。

そして、私たち子ども達に、言葉でなく、あなたの生き様で教え示してくれましたね。

◯一事に励む事の大切さ

◯後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進む事でしか道は開かれないこと

◯移り行く人からの賞賛や栄冠ではなく、永遠に変わらない神からの栄冠を得る事を目標とすること

そして最後に

◯何事も一心(一つ心で)に走る事

あなたはこの事を言葉ではなく、その生き様を通して教えてくれましたね。

そして、今あなたは天国において神からの栄冠をいただいて満面の笑みでガッツポーズをしている事でしょう。

私たちはあなたという大きな存在を失い、その悲しみでいっぱいですが天国でのあなたの姿を思うとき、涙と共に拍手を

送ります。

お父さん神からの栄冠受賞おめでとう。

私たちは、あなたがそれを受賞するに相応しい生涯を送ったことの証人です。

私たちもあなたの後に続けるように、人生を歩みます。

※続きを読みたい方は、個人的にお尋ね下さい。

実は、私は約2年前に自分の人生での大きな震災を経験した。

それまでの人生で積み上げてきたすべてが崩れ、失った様に感じた経験であった。

もう立ち上がる事ができないと思った。心とからだのバランスを崩した。

今もトラウマの様によみがえる時がある。その傷は生涯癒えないかも知れない。

癒えない事も良いと思えるようになったことは驚きである。人間なんだから。

まだまだ復旧復興作業中である。

そんな経験からの「弔辞」となった。

そして、一緒に研修を受けて来た仲間の前で泣きながら読んで確認できた。

私がその人生で<有終の美を飾る>とは、

●最も大切な<家族>を今まで以上に大切にすること。

●次の世代に、言葉ではなくその<生き方を通して模範>を伝える事。

●移り行く人からの賞賛や栄冠ではなく、永遠に変わらない<神からの栄冠を得る事>を目標とすること。

そして、その事を今回の震災に思いをよせて祈るとき。

この国が、日本国として<有終の美>を飾るためには、この震災から本心(本来あるべき姿)に立ち返り、<神からの栄冠

を受賞できる>ように歩みはじめることであると確信させられた。

そのために、私は「この国が上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に」 走りたい。

これが、震災後最初のブログであり今の私の願いと祈りです。

最後に被災地の復興と慰めを祈ります。

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